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6月 01

Фотоподборка (108 фото)

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(出典: petapetarngsnowから)

かつてジョン・パーミントンという人気作家がいた。彼の書く小説は評判も上々で、売れ行きも決して悪くはなかった。
ある日彼が、最新作「海の英雄」を書き上げた時、この小説をもっと効果的に宣伝する方法はないものかとあれこれ考え始めた。

そしてこの時彼が思いついた方法というのは、小説の一部を抜粋して紙に書き、それをビンに入れて海に流すという方法であった。流されたビンは海流に乗って色々な場所にたどり着き、国境を越えて多くの人々が読むかも知れない。

まさしくロマンチックで夢のある宣伝方法である。小説の一部を入れたビンは全部で2000個ぐらい用意され、それぞれが海に流された。そしてこの、手の込んだ宣伝方法は効果を上げ、最新作「海の英雄」は、かなりの売れ行きを示したのである。



そしてそれから16年後、偶然にも小説と同じ名前の「海の英雄号」は実在し、航海に出ていた。
この「海の英雄号」は、大西洋からマゼラン海峡を通過して太平洋へ渡り、そしてインドへと向かっていた。しかしこの航海中に大変な事件が起こってしまったのである。

日ごろから船長と仲の悪かった、ある下士官の一人が謀反を企て、水夫たちと一緒にその船を乗っ取ってしまったのだ。
船長や航海士の多くは殺され、船は航路を変更してアマゾン川をさかのぼることとなった。


そしてところは変わり、この事件とほとんど同じ時刻、すぐ近くの海域ではブラジルの戦艦「アラグリア号」が航海中であった。
午前8時、「アラグリア号」の水兵が、水温を調べるために海水にバケツをつけて水を汲み上げている時に、波に漂う小さなビンを発見した。何だろうと思い、ビンを拾い上げてみると中には小さな紙切れが入っていた。

どうやら紙切れには英語で何か書いてあるらしいが、水兵は英語が読めない。そこで艦長に報告し、この紙切れを艦長に手渡した。艦長がその紙切れを読んでみると、「海の英雄号」からの緊急発信であった。

「船で反乱が起こった。私は奴らに殺されるかも知れない。一等航海士も船長も殺されて海に投げ込まれた。私は二等航海士であるが、船をベレンへ向けるために生かされている。至急救助願う。現在位置は〇〇。海の英雄号。」

アラグリア号の艦長が確認を取ったところ、「海の英雄号」は、実在する船であることが分かった。メッセージに示されている現在位置もこの場所から近い。「これは本物の救助信号だ!」アラグリア号の艦長はそう確信し、すぐに海の英雄号の救助に向かった。


そして2時間後、海の英雄号は発見された。反乱は確かに起こっていたが、アラグリア号の乗組員は全員兵士だったので圧倒的な力でその反乱を鎮圧し、他の乗客も救助することができた。

「この、ビンに入った手紙を発見してすぐ救助に飛んできたんだ!」
アラグリア号の艦長はそう言いながら二等航海士にその紙切れを見せた。だが当の二等航海士は、そのようなメッセージは書いた覚えがないという。書きたくても常に見張らていたので、手紙を書いてビンに入れるような余裕はなかったらしい。

そこで生き残った者、全員に聞いても誰も見覚えがないという。他の乗客の命を救った大変なメッセージであるのに、結局誰が書いたのか、分からずじまいだった。


だがそれから1年後、偶然その手紙の送り主が判明した。手紙の送り主は、海の英雄号の乗組員の誰でもなく、16年前にジョン・パーミントンが、自分の小説「海の英雄」の宣伝のために・・あの時流した2000個のビンのうちの一つだったのだ。

このビンが海流に乗ってブラジルの方まで流されていき、16年前に書かれた小説と全く同じ事件があった場所まで流れつき、そして小説のタイトルと実際の船の名前も同じ、そしてそのビンに入っていた小説の一部が救助を求める内容であったこと・・・これらの天文学的な確率ともいえるような偶然が重なり、海の英雄号は救助されたのである。

この驚くべき偶然はイギリス本国でも報道され、大変な反響を巻き起こした。” — No.49 驚異的な偶然・16年前の小説が一隻の船を救った

(出典: petapeta)

170 774号室の住人さん 2010/05/16(日) 13:26:48 ID:RdJr+psb
伺いたいんですが、炊飯器って根本的に温度設定して
調理できないじゃないですか。
みなさん、どうやって料理に合った設定にしているんですか?
ただ「炊飯」を押しているだけうまくいくんですか?

172 774号室の住人さん[sage] 2010/05/16(日) 19:33:02 ID:XIbigfDl
»170
考え方が逆だよ。
「炊飯器に合った料理」を作る。
基本的に「中火でグツグツ、水分が減って温度が上がってきたら終了」
という動作なので、大抵の料理に応用できるだけのこと。
” — ひとり暮らしに嬉しい炊飯器だけでお手軽に作れる料理:[2ch]お料理速報

(rngsnowから)

(出典: ica-zakurapetapetaから)

“最近の就活生って本当にマジメな人が多い。バカが付くくらいマジメで、一生懸命意識高く持とうと努力してる。でもねえ、企業に採用方法を指南するのも、君たちに就活指南してるのもリクルートっていう同じ会社なんだよ。なんだか泣けてくる。” — Twitter / nan_kan

(出典: katoyuurngsnowから)

1919年。ハンガリーのティサクルトという小さな町で、ラツィオ・クロンベルクとその妻のスシーは小さな旅館を経営していた。このあたりの地方は一年の大半が雪で覆われるような寒い土地で、クロンベルク旅館は人里離れた丘の上にあったにも関わらず、この辺を訪れる旅人はここしか止まる場所がなかったので、お客の入りはそれほど悪いものではなかった。

だが時は第一次世界大戦のさ中。戦争が始まってからというもの、旅館の客はめっきりと減ってしまった。このクロンベルク夫妻はすでに老夫婦となっていたが、子供たちに関しては不幸続きで、娘は家出して売春婦になってしまったし、息子の方は9歳の時に不良仲間に入って父親に叱られたのがきっかけで家出してしまい、全く家には帰ってこなかった。



お客は減り、収入も減り・・だが老いた身体では他に何をすることも出来ず、貯金も使い果たしてしまった。明日の生活にも困るようになってしまい、追い詰められた夫婦は、ついに「旅館に泊まった人間を殺害して金品を奪う」という方法を思いついたのである。

殺害にはストリキニーネという毒薬を使うことにした。夫が街に降りてストリキニーネを小袋いっぱいに買った時、店員に何に使うのかと尋ねられたところ、「近ごろオオカミが出て困っているので、その退治に使うのだ。」と言ってごまかした。

殺人計画は実行に移され、1919年から1922年までの3年間に渡ってこの旅館では、実に10人もの人間が殺されることとなった。


夕食に出すワインにストリキニーネをたっぷりと入れ、お客を殺害した後、死体は谷底へと投げ捨てた。あたりに民家はない上に、雪が春まで解けないので発見されることはほとんどない。

仮に発見されたとしても、その時にはオオカミが食いつくして骨だけになっている。時々死体を、パンを焼くかまどで焼いて処分することもあったようだ。

もちろんこのようなことを繰り返していれば、この付近で次々と人間が行方不明になるという噂は警察の耳にも入る。だが場所が場所だけに、旅人たちは遭難したとか、暴漢に襲われたとか、オオカミに食われたとか、そうした形に思われていたようだ。

もちろんこの夫婦が、殺しているのではないかという噂もたくさん立ったが、何よりも証拠がなかったし、死体も発見されることはなかった。驚いたことに殺害を繰り返していた3年間、一度も警察の捜査を受けなかったのである。何よりも夫婦がとても明るく、そのような暗いうわさを吹き飛ばしている感さえあった。


しかし何人も殺すにつれ、段々とクロンベルク夫妻も慎重になり、これまで強奪した金品で随分と裕福にもなった。そこで、あと、もう一人殺したら、永久に殺人はしまいと夫婦で誓い合うことになった。

1922年8月14日、最後のターゲットが選ばれた。その男は30代半ばのわりと小太りの男で、荷物のスーツケースにはたっぷりと現金が入っている様子だった。話を聞くと男はこれまで貯めた金でどこかの土地を買いたいのだという。

そして夕食時になった。夫婦は男とともに2時間ほど夕食を楽しんだ。男は人柄も良く、話も弾んで殺すのに躊躇(ちゅうちょ)するほどであったが、ここで考えを曲げていけないと思い直し、いつものようにストリキニーネをたっぷりと入れたワインを差し出した。

男は何も疑いもせずワインを飲みほし、たちまち毒がまわり、唇はめくりあがり、目をむいて身体をのけぞらせ、のたうち回りながら、あっという間に死んでしまった。

最後の殺人も成功した。夫妻は男の泊まっている部屋に戻ってスーツケースを開けてみると、やはり思った通り大金が入っていた。また、その他の男の荷物も物色して、他に金に変えられる物はないかと探してみた。

だが・・その荷物の中から驚くべきものを発見してしまったのだ。


なんと若いころのクロンベルク夫妻・・つまり自分たちのスナップ写真が入っていたのだ。この写真を見た瞬間、全てを理解した。
この男は長い間家出していた自分たちの息子そのものだったのだ。これまで犯した殺人の罰だろうか。夫妻は恐怖におののき、自分たちを犯した罪にさいなまされ、全身は震え、一晩中泣き明かしたという。

数日後この旅館に別の旅人が訪れ、その旅人の通報で、村の人たちが旅館に足を踏み入れてみると、旅館の食堂で3人の死体を発見した。

一人は夫妻に殺された息子のもの。そして残りの二つはクロンベルク夫妻のものである。三人ともストリキニーネの服用による目を覆いたくなるような死に様だった。

それから何年もの間、この旅館は無人の状態が続いていたが、何人かはこの旅館を買おうとして宿泊したことがあった。しかしその者たちはいつも一様に恐ろしい目に会い、旅館を買うどころかすぐに逃げ出してしまった。

夜になると食堂で食卓を囲んでいる13人の犠牲者たちの亡霊・・。彼らはストリキニーネ特有の死に方・・目をむき身体をのけぞらせ、ものすごい形相をしてイスに座っているのだ。

このクロンベルク旅館の亡霊の噂は瞬く間に広まり、すでに誰も旅館に近づかなくなってしまった。

1980年9月23日、朽ち果てたクロンベルク旅館は突然炎上し、灰になってしまった。噂によれば誰かが放火したのだろうということになったが、その犯人を突き止めようとする者はもう誰もいなかった。” — No.54 11人殺害・亡霊たちが食卓を囲むクロンベルク旅館

(出典: petapeta)

“怒ってもあんまいいことない” — やっぱり怒ってもあんまいいことない - 諏訪耕平の研究メモ

(出典: korekararngsnowから)

(via おもしろいgif画像ください : あじゃじゃしたー)

(via おもしろいgif画像ください : あじゃじゃしたー)

(rngsnowから)

「市場価格」といっても、イビツな感じがしますね。

なぜイビツかというと、供給側が健全な競争関係にないからです。
マンションデベロッパーというのは、
「他社が4000万円で売っているのなら、
ウチはもっといいものを作って3800万円で売るぞ」
的なマインドはぜーんぜんないものです。

むしろ・・・
「他社が4000万円で売っているのなら、
ウチの営業力で4200万円で売れるのではないか」
という発想をします。

これって、逆ですよね。
でも、残念ながらこれが現実。

だから、マンションの値段というのは
上がる時にはスルスルと昇っていきますが
落ちる時にはズ・・・・ズ・・・・・ズズ・・・という感じ。
もうそれは未練たっぷり(笑)。

” — 榊淳司の「マンション値引き・価格・情報」 健全な「市場価格」をコーポラティブで作るぞ!

“移籍の際は強烈な落とし穴が待ち受けていた。社員から大山に「ルミネでやってほしい。とにかく東京に住んで」と依頼が来た。残留を希望する大山は引っ越し代がかかると難色を示したが、社員は「なんぼいるねん。100万円?用意したるわ」と即決。吉本入りして初の厚遇に東京行きを決意した。

 100万円が振り込まれると大山は吉本本社に呼ばれた。社員が書類を差し出し「ここにサインして、後はここにハンコ。それと月に5万円ずつ引くから」。書類には吉本関連の金融会社「吉本ファイナンス」と書いてあった。大山は「コレなんや、詐欺や」と思ったが時すでに遅し。お願いされた東京行きなのに金利まで払い続けた。” — 詐欺?金利まで払って見つけた居場所(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex 芸能 よしもと100年笑いは地球を救う

(rngsnowから)

D.B.クーパー事件(D. B. Cooper)とは、アメリカ合衆国で発生した、身代金を要求したハイジャック事件である。単独犯による事件であり、パラシュート降下による逃亡というハリウッド映画さながらの大胆さなどから、アメリカ国内においてもっとも有名な未解決事件の一つとされる。

犯人は、身代金を受け取った後、飛行中のボーイング727の後部にあるドアを開けさせ、現金200,000ドル(2012年現在の貨幣価値にして約1億円)を持ってパラシュートで脱出した。検挙されず、また犯人の身元も不明な未解決の事件である。後に身代金の一部がコロンビア川で発見され、実際には犯人は死亡したともいわれているが、死体は発見されていない。

犯人であるD.B.クーパーはハイジャック犯としては、紳士的であったと言われている

「D.B.クーパー」はFBIの手配の際、手違いで広められた犯人の名前であるが、犯人による自称「ダン・クーパー」もまた偽名であることは確実である。

ほとんど指紋を残さないなど、完璧なまでの完全犯罪にD.B.クーパー人気は社会現象になり、FBIに「俺がD.B.クーパーだ」と名乗りだす者が続出した。

アメリカの感謝祭前日であった1971年11月24日に、経由地のオレゴン州ポートランドからノースウエスト航空11便(ボーイング727-100型、ワシントンD.C.発シアトル行き、機体記号N467US)には、乗員6名と乗客36名が搭乗していたが、その一人が「ダン・クーパー」の偽名で搭乗していた犯人であった。

午後4時35分(現地時間)に離陸後、犯人は機内サービスの際に客室乗務員の女性に代金と一緒にメモを渡した。その乗務員は、当初、自宅の電話番号のメモだと思ったが、犯人は「爆弾を持っている」と告げたため確認すると、爆弾を所持していることと身代金20万ドルとパラシュート4つを要求する脅迫状であった。また隣に座るように要求した。

そのため客室乗務員が操縦席に連絡したが、パイロットは疑わしいと思い犯人の隣に座り本当に爆弾を持っているかを尋ねると、犯人は持っているブリーフケースを開け、そこには赤い管と導火線(ダイナマイト)が見えた。そのためパイロットは管制官にハイジャックされたと告げ、それに対し当局はハイジャック犯に従うように指示した。

午後5時45分にシアトル・タコマ国際空港に緊急着陸後、身代金とパラシュートと引換えに犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放した。午後7時45分にシアトルを離陸し、犯人は機長に対しネバダ州リノに向かえと要求し、高度1万フィート(約3000m)に維持したうえでランディングギア(車輪)を出しフラップの角度を15度下げて飛行するように指示した。こうすることにより、空気抵抗が生じ、時速は320キロまで落ちていた事が判明している。

犯人は午後8時11分ごろに、ボーイング727の後部にあったリアドア(昇降用階段)を空中で開き、パラシュートで現金と共に脱出した。その様子は追跡していた空軍のF-106戦闘機2機は視界がきかなかったため確認できなかったが、犯人はポートランドの北30マイル(約50km)にあるアリエルの郊外に降りたと思われていた。その後当局は18日間捜索したが彼の行き先に関する手かがりはつかめなかった。

犯人がどうなったかについて諸説ある。

■逃亡説
1972年には、「パラシュートによって、ハイジャックした旅客機から逃走しようとした事件(模倣犯)」が3件発生した。最終的にはいずれも検挙され、「ダン・クーパー」だけが逃げ切ったと思われていた。
捜査当局が「ダニエル・B・クーパー」を被疑者として拘束したため、「D.B.クーパー」が被疑者であるかの誤解を報道機関に与えたため、世間一般に、後者の名が広まった。

■死亡説
1980年2月13日、ワシントン州バンクーバー郊外のコロンビア川のそばで、ピクニックに来ていた家族によって、身代金の一部5800ドル(20ドル紙幣の束であったという)が発見された。
そのため、「犯人は、コロンビア川に落ちて溺れた」、もしくは「冬の夜の寒さに凍えて、死亡した」のではないかといわれるようになった。
彼が使用したパラシュート2つのうち、1つは「空中では展開しない、地上訓練用」であったため、「パラシュートによる脱出に失敗して死亡した」という説もあった。

■逃亡して死んだ説
2011年8月2日付のロサンゼルス・タイムズ紙など複数の海外メディアによると、FBIの特別捜査官が「約10年前に老衰で死亡した男性の正体がD.B.クーパーである」という証言を入手。現在、死亡した男性の指紋、DNAと、事件当時機内に残された指紋、遺留物に付着したDNAの鑑定が行われている。この結果、同一人物であると判明した場合、犯人は犯行後に約30年間逃げ延びた後、逮捕されずに死んだことになる。[1]

■その他
1991年に出版された書籍には、「1972年に同様の事件を起こした元軍人の男性(リチャード・マッコイ)が犯人ではないか」という説が書かれた。リチャードは元軍人。今はダイビングのインストラクターとD.B.クーパーの犯人像に重なったばかりか、人相も酷似していた。身代金を奪取してパラシュートで降下したが、逮捕されて懲役45年を宣告され、後に脱獄に成功したが潜伏先FBIに追い詰められ射殺された。
2000年、ある女性が、1995年に死んだ夫につき「夫が死ぬ間際に、『ダン・クーパー』であったと告白した」とする記事がU.S. News and World Report誌に掲載された。同記事は「夫の筆跡と、犯人メモのの筆跡がよく似ていること」などを根拠にする。

” — D.B.クーパー事件 - Wikipedia (via petapeta)

atm09td:

[拡大画像]Car Watch 東海大、車載も見据えた波動エンジン(熱音響機関)を開発

atm09td:

[拡大画像]Car Watch 東海大、車載も見据えた波動エンジン(熱音響機関)を開発

(acmarathonから)

“大正時代の人のあいだで、手紙でルー語みたいなのを使うのが流行っていて、「素敵なレターをサンキュー」とか、「あなたのみ心」を「あなたのみハート」と書いてて、みハートとか結構センスいいと思うんですが、明治の人は「これだからゆとりは」みたいなこと書いてます。” — Twitter / kamozi (via katoyuu)

56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 09:59:31.73 ID:Hhqko0jA0
フィラデルフィアとかもあったな

フィラデルフィア実験
アメリカの駆逐艦〈エルドリッチ〉が、電磁波を使った実験中にテレポートしたといわれる事件。
1943年10月28日、ペンシルバニア州のフィラデルフィア海軍工廠で、の消磁実験が行われた。

巨大な船は同じ方向を向いたまま建造されるので、地球の磁場により磁気を帯びる。
これを利用して開発されたのが、磁気に反応し爆発する「磁気水雷」である。
そこで、船体を電磁波で包むことで船体の磁気を消し、磁気水雷を避けようという実験である。
また、レーダー探知を避ける実験だったともいう。

電磁場発生装置が作動すると、〈エルドリッチ〉は緑色の靄に包まれ、
レーダー上だけでなく本当に目の前から消えてしまった。
そして1600km離れたノーフォークに忽然と現れ、またフィラデルフィアに瞬時に戻ってきた。
乗組員は、行方不明、火だるま、発狂、体の裏表が逆転、壁や床と同化するなど、
甚大な被害を受けていたという。
都市伝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/フィラデルフィア実験
” — 海外の都市伝説ってどんなのがあるの?:哲学ニュースnwk (via petapeta)

“半分頑固で半分柔らかい人でないと駄目ですね” — 【インタヴュー】新世界を創造するYコンビネーターのハッカーたち « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム (via atm09td)

(acmarathonから)